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竹内浩三みゅーじあむBLOG

by 竹内浩三プロジェクト
宇治橋
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     新年明けましておめでとうございます。

     波乱含みの年明け、景気回復を祈る人々や、3年後の式年遷宮を控え先んじて新しくなった宇治橋の欄干をなでながら往復する人々などでにぎわっておりました。
     式年遷宮とは、神宮がその建物をはじめ形あるものを20年に一度新たにし永遠の命へとつなげようとする儀式です。
     まず俗界と神宮域をつなぐ宇治橋が先陣を切って完成。去る11月3日に渡始式が行われました。

     伊勢神宮のお膝元で生まれた竹内浩三は日大芸術学部に進みつかの間の東京暮らしを謳歌するも、徴兵検査・繰上げ卒業と追われ、下宿をたたんで入営、送り返した荷の中の1冊の本に書きこまれていたのが「宇治橋」の詩・・・

    「宇 治 橋」           
    ながいきをしたい
    いつかくる宇治橋のわたりぞめを
    おれたちでやりたい
    ながいとしつき愛しあった
    嫁女(よめじょ)ともども
    息子夫婦ともども
    花のような孫夫婦にいたわられ 
    おれは宇治橋のわたりそめをする
    ああ 
    おれは宇治橋をわたっている 
    花火があがった
    さあ おまえ 
    わたろう
    一歩一歩 この橋を
    泣くでない
    えらい人さまの御前だ
    さあ、おまえ
    ぜひとも ながいきをしたい

     浩三さんはルソン島で戦死、60有余年を経て、1号に「宇治橋」の画像と詩、2号に選ばれた三代の夫婦が渡始をする写真を大きく掲載した「お伊勢さんニュース」が伊勢の各所で配布されています。

     この大胆な対比を目にした興奮と衝撃を、年頭のご挨拶に代えてお知らせいたします。
     
     ちっちゃい子どもの頃に一度だけ渡始を経験しただろう浩三さん、生きていたら88歳になる浩三さんの代わりに、残された「ことば」がゆらゆらとひょうひょうと宇治橋あたりを行ったりきたりしているかのように思えました・・・。

     ・・・神宮が空気のように身近にある伊勢人(いせびと)ならではの感じ方かもしれません。だって神宮の神域を歩くと、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)、月夜見宮(つきよみのみや)、荒祭宮(あらまつりのみや)、風日祈宮(かざひのみや)などそこかしこにあり・・・これまであまり言葉にして考えることなどありませんでしたが、いわば自然を畏れ祈り敬うという原初的な敬虔な気持ちが萌すとでもいいましょうか、言葉にするならそんな経験が伊勢人にはあるのではと思います。

     ・・・御魂(みたま)、八百万の神々とともに蘇り、はらからの罪とがを暴き、生きとし生けるものの生命をぞ守りたまえ。

     あまりに興奮したので、お伊勢さんニュースの編集発行元(雑誌「伊勢人」やカレンダー「伊勢講ごよみ」の版元でもある)「伊勢文化舎」さんに読者の便りをしてしまい、お正月には直接お会いしておお礼を言う機会を得ました。

     代表の中村さんはやはり伊勢人でした。浩三さんが残した「ことば」の数々を守り、見出し、伝え、数々の人々がその感じ方でまた新たに表現し、人々に伝えておられます。中村さんも事業の中でそれを行っておられるおひとりでした。

     30年近くも伊勢志摩に根ざし文化的な発信を続けてこられた結果が、今回の「宇治橋」が宇治橋を渡始するお伊勢さんニュース1,2号に結実したのだと思います。
     http://www.sengu.info/images/isenews_02.pdf
    「宇治橋」が宇治橋を渡始する映像は、この一月ほど私の頭の中で動画となってさんざめき、ちょっともてあますほど! 
     みなさまにもそのさざめきの一端お伝えして、長々のお年始とさせていただきます・・・。 
     ありがとうございました! 
     2010.1.5
            (たけうち みわ)  
    | 日記 | 23:02 | - | - | - | - |
    みどり葉の伊勢行
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      あんずです。みどり葉の伊勢行(5月5日〜6日)

      朝熊山「みどり葉の五月」の中に行きたかった。
       はりきって、お弁当をつくって6時に家を出た。
      ゴールデンバットをもっていざ伊勢へ。浩三さんに会いにいくねん。

      が、近鉄電車にのったら、奈良付近で雨が降り始めて、止む気配もない。
      青山高原で、三輪さんに電話したら、「どしゃぶり」とのこと。
      ひさしぶりのおでかけ雨。
      雨女の面目躍如です。(小6の修学旅行は、伊勢で、傘をさして宇治橋をわたりました。濁流の五十鈴川でした。)

       宇治山田駅に、9時半到着!ほどなく 竹内三輪さんと16歳の息子さんが来てくださいました。三輪さんの案内で、「吹上町」へ。

      「大喜」さんの看板は、竹内呉服店の看板だったそうです。
      縦書きで、「竹内呉服店」と記してあったと、お母さんの記憶にあるとのこと。
       海産物「かね安」さんの黒塗りの壁と瓦屋根は、戦前からのもののようで、竹内呉服店もこのようであったかもしれないと、三輪さん。

       降りしきる雨の中、河崎へ。
      古書店「ぽらん」さん。



      店主の奥村薫さんは、1月の研究会で、「竹内浩三と音楽」と題して
      浩三さんの音楽詩について、すごい発表をされました。楽しかったです。

      http://bv-bb.net/bonvivant/monokoto/koto/k004_01.html

      店内には、「デンチク」が、ありました(修理中!)。
      きっと浩三さんのもっていたのも、同じ形態だったと予想されます。
      「ぽらん」には、伊勢ゆかりの人コーナーがあり、「神宮」ばっかり宣伝して、伊勢の偉人たちを顕彰していない行政に効する、奥村さんの気概を感じます。
      橋本平八の記述もあり、三輪さんによると、竹内呉服店にも戦前橋本平八の作品があったけれど、空襲で焼けてしまったのです。復員された敏之助さんは、どうして避難させなかったのかと、残念がられたそうです。

      「ぽらん」には、本の中に素敵な猫さんがいて、不思議度アップしています。奥村さんは、地域猫との共生の活動もされています。三輪さんの息子さんは、マンガは置いていないはずの店内から、手塚治虫の「ブッダ」をみつけて、よみふけっていました。
       それをみた奥村さんが、「きてくれた記念に、もってかえりなよ プレゼントするよ」っていったのに 
      「いや!こういうものは、自分で買わないと。」と いったから、大人たちは16歳のその言葉におおいに感激したのでした。少年は、全14巻を購入し、リュックにいれて帰りました。

       それから、川の駅でお弁当を食べて、瀬田川の沿いに歩いて、一誉坊(いっちょぼ)の霊園へ。私は、一年前に、来たのですが、竹内家の墓所をみつけられませんでしたので、今回、三輪さんに案内していただいて、よかったです。沢村投手の G のお墓のすぐ 近くにありました。
       浩三さんの学帽は、いまもこの土の中にあるのでしょうか?


       降りしきる雨のなか、「徴古館」「美術館」「農業館」へ。
      「徴古館」で、「伊勢参詣曼荼羅」をみるのを楽しみにしていたのに、展示がなく、聞いてみると、この秋、会館100年の記念展があり、そのとき展示されるそうです。
       私は5月1日京都の古書市で、「シンポジウム伊勢神宮」という本に出会いました。「伊勢参詣曼荼羅」がとてもコケティシュでした。詳細解説があり、とてもおもしろかったので ぜひ実物を見たいと思っていたのです。9月リベンジです。

       それから、「倭姫宮」を参拝して、深い緑に魅了されながら、御幸道路まででました。
      この御幸道路沿いに、浩三さんのおじいさん「大岩芳逸」氏の顕彰碑があると聞いていたので、探しながら歩きましたら、ありました!
       

       そのあと、三輪さんのご実家にお伺いすることになりました。
       表札はいまも「竹内善兵衛(敏之助)」さんです。
       お母さんと、弟さんにも、お会いすることができ、竹内家のみなさんに囲まれて、どきどきでした。ここで、お宝をみせていただきました。


       善兵衛さん(浩三さんのお父さん)が、朝熊山に梵鐘を寄贈されたとき、記念に贈られたものだと思います。
       昭和8年6月10日 梵鐘寄付人 竹内善兵エ 


      そして こちらは、竹内呉服店のふろしき!


       しろいちょぼは、自分の名前をかく場所なんですって。おもしろ!

      ありがとうございました。バスで、伊勢駅前まででて、タウンホテルいせにチェックインしました。三輪さんのお母さんの話では、ここは「大阪屋」さんという食堂だったそうです。たしかに 一階の喫茶の看板が「おおさかや」でした。
       その隣が、伊勢信用金庫で今 立替中なのですが、ここが、戦後の竹内呉服店で、三輪んさんの記憶に残っている「ふともの」呉服のお店です。

       雨が少し小降りとなり、「霊泉湯」にいってみました。だいたいの場所は、調べていたのですが、少し不安でしたが、煙突が見えたので、その方向に歩いてたどりつきました。


      五月五日で、菖蒲湯でした。小5くらいの女の子が、小さい子どもたちを連れてやってきて「先生」ごっごのように、ロッカーの使い方やお風呂の入り方やら、教えているのがかわいらしかったです。

       翌朝は、5時に起きられたので、外宮へ。
      そして 事件が・・・。詳細はML(^_^;)

      雨が止みそうにないので、津の「三重県立美術館」の元永定正展にいくことにしました。

      はじめて、いった美術館ですが、緑が、展示室からもみえる設計になっていて とても気持ちのいい美術館でした。元永さんの絵を改めてじっくりどっぷり見ることができてよかったです。

       雨に降られましたが、
      浩三さんの「みどり葉」を実感することができました。
      三輪さん、そして ご家族のみなさん ありがとうございました。

       そして きょうは、五月十二日 浩三さんの誕生日!

      窓をあけていると、みどり葉の匂いが、部屋の中まで入ってきます。

      ヴィヴェ ジョアイユウ!歓喜して生きよう!

      | 日記 | 11:26 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
      「浩ちゃんよう」
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        写真は
        京都の杏さだ子さんが、あんず錬金文庫(光るものを紹介していくシリーズだそうです)としてコピー冊子「浩ちゃんよう」を制作、配布されているものです。

        とても楽しい構成になっています。みんながこうやって「わたしの浩三さん」を伝えていけるといいなぁぁ。
        | 日記 | 22:59 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
        ありがとう、森節子さん
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          竹内浩三さんとその作品を愛する私たちをつなぐコーディネーターとして
          いつも大きな笑顔でいてくださった森節子さん。
          この6月30日に三重県松阪市の病院で亡くなられた。
          まだ58歳だった。

          伊勢市で行われた森さんの告別式は梅雨の晴れ間の夏日で、
          明るい日ざしがまぶしかった。
          「五月のように」のホームページの壁紙のような空を背景にした
          満面の笑顔の節子さんの遺影。
          まるで浩三さんのようにひょうひょうとしただんなさん(森光明さん)の
          最後のごあいさつがみなの胸を打った。
          「自分たちで解決できないことをみなさんにご相談したり、
          助けを求めるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」
          ともいわれた。
          浩三さんを愛する人々のつながりのなかで生きていこう。

          森節子さん。
          おつかれさまでした。そしてこれまで、本当にありがとうございました。
          いまごろ、天国で浩三さんとお会いしていらっしゃいますか。
          私たちは少しずつ力を寄せ合って、あなたの遺した仕事をつないでいきます。見守ってください。

          次は佐々木健さん制作の、森節子さんにささげる作品「五月のように」です。

          http://jp.youtube.com/watch?v=UmQbjsBeS0M



          | 日記 | 17:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |